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Channel: 竹原ピストルのブログ 流れ弾通信
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ずーっと、ずーっと、苦笑い。

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コンロに飯盒。って何らかの諺にならないでしょうか。すごく不安定で絶妙なバランス維持が必要な様子。それにそれを乗せてもうまくいかないでしょうよ、みたいな様子。それぞれ本来の役割を果たそうとしているのに、どうにもうまく噛み合わない様子。とか。


スープ ザ 赤玉(赤玉抜き)をつくっているところです。


普段は誘う、誘われるもなくただごく自然に一緒にのんでますから、昨日、リョウジからわざわざの、のみの誘いがきたってのはとても珍しいことだったし、何か困ったことがあったのかな、と思いました。
芸人 ガンビーノ小林さんが一緒だということで、ほら、やっぱりだ、と思い、駆けつけました。


昨日から読み始めたのが、百田尚樹 著 『プリズム』です。まだ全然序盤ですが、多重人格、統合失調症、といった事柄がキーワードになっているようです。

10年ほど前、なんとなく読んだ貴志祐介 著 『黒い家』がものっっすごく面白くて、そこからサイコサスペンス、サイコホラー(という書き方でよいのか不安です、適当なジャンル表記でなかったならばごめんなさい。)の類の本を読みまくった時期がありました。

何かの本で、“人格”ってのはそれぞれに対するそれぞれの対応パターンに過ぎない、というようなことが書いてあって、ほーう、となったことがあります。

Aさんに対しているときの自分、Bさんに対しているときの自分、Cさんに。。Dさんに。。ときの自分。

なるほど、接する人間によって、対応の仕方、態度、ざっくりいうならキャラ、その他諸々がときにあからさまに、ときに微妙に、違います(少なくともぼくは。)。
対応のパターン。それぞれが、それぞれ、人格。ふーむ、なるほどねー、となったのでした。

移動中、楽屋、打ち上げ、その他諸々。リョウジとは二人きりで過ごす時間が圧倒的に多いです。それはつまり、“対リョウジ用のピストル”、“対ピストル用のリョウジ”で過ごす時間が圧倒的に多いということでもあるかと思います。

そこに、別パターンで接している人が混ざってくると、“対リョウジ用のピストル”と、“対その人用のピストル”がごっちゃになったり、こんな話し方、態度をしている自分をリョウジに見られて照れくさいな、恥ずかしいな、となったり、逆に、ぷぷっ、リョウジ、あんな感じになってる!となったりして、再びリョウジと二人きりになったとき、いつも何だかお互いにお互いを笑い合って、誤魔化さずにはいられなくなります。

へんなエネルギーをつかいますから、打ち上げぎらいはそこに端を発していると言っても過言ではないかと思います。

だからのむならサシか、対応パターンを統一したまま過ごせる複数人でのむのが楽でいいなあと思っています。


はっと気がつけば、なんだかんだで6、7人での飲み会になっていました。初対面の方もいましたし、やっぱり、対その人用のパターンで過ごしているのをリョウジや親しい人間に見られるのは照れくさかったですね。自意識過剰ってやつかもしれませんね。

この人にはこうがいいかな?とかってのも何だかこざかしいですね。でも誰に対しても同じ人格、ってのは不可能ですね(少なくともぼくは。)。

ちなみに対ガンビーノさん用のピストル、対ガンビーノさん用のリョウジは共にとてもシンプルな人格です。
苦笑い。ずーっと、ずーっと、苦笑い。


と、ここまで書いている間に飯盒、二回倒れそうになりました。あぢ!!

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