

“(函館くんがMCで、ピストルさんはぼくより歳下なのに、すごく先輩面してくる、というようなことを言って、ぼくはそこで初めて、かれこれ長い付き合いの函館くんの方が歳上だったことを知ったのでした。それを受けて。)
。。。函館くんが。。実は歳上だったというショックを引きずったまま、次の曲です。
。。ほんとに失礼しました。完全に歳下だと思っていました。。先輩風吹かせてたどころか、若干見下してました。。☆”
※☆はお客さんが笑ったところ。
~竹原ピストル編 『竹原ピストル 特選MC集より~
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“何事もなかったかのように呼び名を変えますが、函館さん、、☆”
※☆はお客さんが笑ったところ。
~竹原ピストル編 『竹原ピストル 特選MC集より~
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まず謝罪!!笑
函館くん、いや、函館さん、失礼しましたー!!笑
また一緒にやろうな!
あ、間違った!
是非是非またご一緒させてください!!
ライブ、なかなか良かったよ!
あ、間違った!
ライブとても刺激的でした!!
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写真右がまだ、函館くんと呼んでいた頃の、函館さん。笑

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“遠藤ミチロウさんと初めて共演させていただいたときに、前座をさせていただいたときに、「遠藤ミチロウさんの前座をやらせていただきます、、」って言いたかったのに、緊張で舌が回らず、「遠藤ミチロウさんの全裸をヤらせていただきます、、」って言っちゃったんですよね。笑
やば!と思ったけど、いや、スターリン時代のパフォーマンスと照らし合わせると、満更間違いじゃなかったなって。笑”
~竹原ピストル編 『竹原ピストル 特選MC集より~
と、そんなヘンテコな初共演の思い出が生まれたのは、まだ野狐禅を結成して一年未満の頃、10数年も前のこと。
北海道/旭川の老舗、アーリータイムズのステージで、だったかなぁ。。
以来、遠藤ミチロウさんには、作品、楽曲、ステージングはもちろんのこと、活動のスタンス、人柄、人との接し方、という部分にまで、大変な影響を受けています。
影響を受けています。とここまではっきり自覚しているわけですから、それはもう、ある種、パクり、真似ですね。笑
ギターでリズムを刻みながらのポエトリーリーディングのスタイル。
これも、ミチロウさんの楽曲に触れて、こんなにも自由でいいのか!!と試みはじめた試みでした。
一曲一曲の後の、「どうもありがとう!」もミチロウさんの真似(ぼくの場合は、ありがとうございます、ですが。)。
ミチロウさんの歌のあの壮絶な世界観を叩きつけられた後の、「どうもありがとう!」はとても、色んな意味で優しく胸に響いて素敵ですよね。
かつてミチロウさんが記した、旅の思い出を綴りつつ、全国の弾き語りライブスポットを紹介した名著、『音泉MAP』。
バイブルだったなぁ。。
北海道時代、世の中にはこんな世界(シーン)が広がってるのか、ミチロウさんはこんな世界を渡り歩いているのか、と胸をわくわくさせたものです。
現在の自分のライブ活動のスタンスをご覧いただければ、それもまた、ミチロウさんの真似、だということがお分かりいただけるかと思います。
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渋谷で40年、目黒区碑文谷(ひもんや)に移転して7年。
トータルで47年。
アコースティックシーンの大殿堂。であり、遠藤ミチロウさんが長年のキャリアの中でずっとホームグラウンドにしてきた、しているのが、渋谷APIA、碑文谷APIA40です。
上記の通り、遠藤ミチロウさんの背中を追いかけていた(いる)人間として、北海道から野狐禅で上京するや、やはり渋谷APIAの出演者オーディションを受けに行きました。
そして、落ちました!!わっはっは!!
って、笑ってる場合じゃねーぞ!!で、気合いも新たに二回目のオーディション。
これはなんとか合格!!
念願のAPIAのステージで歌うことができたのでした。
やがて、ぼくは野狐禅の活動と並行して、一人でもステージに上がるようになりました。
やっぱり一人でもAPIAのステージに上がりたいな、ということで、ソロとしてまたまたまた、出演者オーディションを受けに行きました。
これは合格!!
47年の長い長い歴史があるAPIA、APIA40とはいえ、出演者オーディションを3回も受けて、2勝1敗という記録を残した歌うたいはなかなかに珍しいのではないでしょうか。笑
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奇しくも、野狐禅の解散の時期と、APIAが碑文谷に移転した時期が一致しました。
しかもその当時ぼくが発表したソロとしては初めての音源、自主製作盤のタイトルが『オールドルーキー』。
あまりに諸々がはまりにはまっていたAPIA40との交流が深まりに深まっていたのはこの頃からです。
はじめは友人宅のパソコンで手焼きして、会場限定で販売を開始した『オールドルーキー』。
ありがたいことに沢山の皆さんが手にとってくださいました。
生産が追いつかない。どうしよ、誰か助けて!のタイミングで相談し、手を差し伸べてくださったのが、APIA40、並びに、同店内主催のインディーズレーベル、ペルメージレコードでした。
生産、宣伝、通販、レコード店への展開、等々、あらゆる機能を担当していただけることになったのでした。
以降発表した、『BOY』、『SKIP ON THE POEM』、『復興の花』、『復興の花2』も、全てペルメージレコードから発表したものです。
面積の狭い狭い“世”だったかもしれませんが、竹原ピストルの音源を最初に世に出してくださったのは、このAPIA40、ペルメージレコードの店長、伊東さんです。

そして、APIA、APIA40の、ボスは、伊東さんのお父様です。
京都の磔磔しかり、拾得しかり、東京のAPIA40しかり、お店の、主導と言う名のバトンが次の世代に渡って、、というお店は全国的に多いのかもしれません。
それでいて、遠藤ミチロウさんの『音泉MAP』に載っているお店も、そういった意味でのバトンが繋がらず、あるいは別の種類のバトンに変えて、となり、今となってはもうない、閉店したお店が多いそうです。
ここにきて唐突な企画説明ですが、この『PEACE OUT』シリーズは(ミチロウさん方の)次の世代の歌うたい、竹原ピストルとしての『音泉MAP』をと思い、書きはじめました(またまた真似ですね。)。
。。。とかなんとか、デカイ口を叩いてはみましたが、ミチロウさん、一向にバトンを渡してくれそうにありません。。笑
いつの日か、真似っこではなく、自分にしか持ち得ないバトンを手に入れなければならないのでしょう。
ミチロウさん、いつまでもいつまでもお元気にいてください!!
ミチロウさんからのバトンタッチは諦めます!!笑
2016.5.2.