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Channel: 竹原ピストルのブログ 流れ弾通信
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きくのつゆ


流れ弾通信 2012.10.28.

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えんきでふがー(元気ですかー!)!
富山からの浪人、どんぐりが寝起きすぐさま無理矢理やらされたアントニオ猪木氏のものまねに笑い崩れ落ちる朝。
荷自宅を整え、マスターに見送られつつ民宿ロフトを出発。舟までの時間を海で過ごすことにした。

結局、四日間続けて快晴。海は今日も青い。

昨日姐さんが持たせて下さった弁当を、沖縄そばをチェイサーに、食べた。幸せな食い合わせ。あっという間に食べきった。

やがて港へ。
伊江島で共演して下さった、おっかさん歌うたいが、ひょっこり見送りに来て下さっていた。
舟に乗り込む。甲板に出る。出航。
おっかさんが体一杯に手を振っている。
振り返す。
おっかさんがみるみる小さくなる。
米粒大になった。
まだ手を振っている。
今生の別れじゃあるまいし。
だからこそ気持ちが嬉しかったが、その倍、切なくなった。
やがて視界が海に覆われた。
沖縄の旅が終わるんだ。やっと妙にピンきた。


・伊江島、すごく楽しかった!また歌いに行かせて下さい、お世話になりました!


更にもう一段上の甲板に出た。
感傷に浸る。間もなく、
バチン!バチン!
おだやかでない。伊江島藩の者同士、竹刀で打ち合っている(伊江島ライブに来てくれたお客さんが手押し相撲に興じていました。)。
こいつら、できるな。。
緊張に体がこわばる。
伊江島藩同士の勝負は引き分け。
緊張を集中力に転嫁、ザッと踏み込み、片一方に手招きした。

バチン!バチン!バチン!


・で、その御一行、三人と手押し相撲をして、ぼくは勝ちました。伊江島チャンピオンになったわけです。
ふと気がつくと、近くで外国人が真似して手押し相撲をしていました。あんまりルールがわかっていないようで、ただのやさしい殴りあいみたいになっていました。


沖縄本当に到着。読谷を経由。久しぶりに風呂に入った。

入り時間まで海を眺めて過ごし、首里へ。

会場はアルテ崎山。
一年半程も前、いつかここで歌わせて下さいね、とふらりCDをプレゼントしていた(一年半前に同じビル内の別フロアでライブをさせてもらいました。そのタイミングで。)。
それをママ、マスターが覚えていてくれていた。
本当に歌いに来たねぇ。
ママさんが優しく笑ってくれた。

個人的な、そのステージに対する思い。これは、お客さんには知ったこっちゃない事柄である。そこをおすと温度差地獄を見ることになる。とは言え、個人的な思いを完全に無きものとしてしまうと、それはそれで、ステージがちぐはぐになってくる。
上手く折り合いをつけたかった。

胸にあるのは楽しかった沖縄での日々。
思い出。
感謝。
感傷。
名残惜しさ。

良くも悪くも、いや、良くも、殺気、闘志がまるでなかった。
そこはそのままでいい。それでいてなるべくたんたんと。一曲一曲じっくりと。

しくじりたくないところをしくじってしまい動揺した曲目もあったが、結局、野暮たいことも話したが、うーん、どうだったろう。。

とにもかくにも、まあ、甘い。
ああすればよかった、こうすればよかった。は、悲しいかな、次回にぶつけるしかない。
お願い。次回も来て下さいね。

ばさらさん、姐さん、四日間、お世話になりました。
各会場の皆様、お世話になりました。
お客さん、お世話になりました。
精進致します。本当にありがとうございました。

沖縄ツアー、最後のステージが終わった。

しっぽりこじんまり、ばさら邸にて軽く打ち上げ。姐さんの手料理が、やっぱり優しくうまかった。

えんきでふがー!
どんぐりは夜も大活躍。心底から無理にやっているから百発百中でツボに効いてくる。みんなで笑いこれげた。

布団を敷いた。寝転がった。
隣の部屋からばさら氏の鼾が聞こえてきた。


でよ、お前、なんで先生辞めた?

どんぐりが何と答えたか、忘れた。ことにした。そもそも覚えていたところで何の意味もない。過去の事だからな。じゃあ始めから訊くな、ではあるが。

で、この先どーすんだ?

どんぐりが何と答えたか、忘れた。ことにした。そもそも覚えていたところで何の意味もない。これから見せてもらえるんだからな。じゃあ始めから訊くな、ではあるが。

わんこがどんぐりの傍らにのそりと横たわった。

沖縄の束の間の夜。

ゴールラインで、スタートライン。

駆けろ!どんぐり!



流れ弾通信、続く。

どんぐりが書いていた日記

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※富山の友人、どんぐりが書いたものです。

10月26日(金)沖縄県読谷村ライブ!
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昨日の日記を書き終えた後、お世話になっている山田ばさらさんのお家に差し入れするために近くへ買い物に。ピストルさんが「どこかに米売ってないか?」と言うと、歩いて1分で発見。日用必需品をたんまり買い込んで差し入れた。山田ばさらさんのお家から読谷へは約30分で着く。そこで今日も色々と寄ることに。まず行ったのは、ソーキそばの店。初ソーキそば。おばちゃんが薦めた具が全然乗っている1000円のスペシャルを頼む。ラフテー、豚足、はんぺん、白菜、卵焼き等かなりボリューミー。気のせいか具だけでなく麺も相当増えている。いや、気のせいではない。おいしかったが、食べきれず、ピストルさんに食べてもらった。店を出た後、ピストルさんが「あれをソーキそばだと思うな。白菜とか卵焼きとかが入って味がごっちゃになっている。次は純粋なソーキそばでリベンジだ」と言った。詰め込みはいけない時もある。その後は海へ。ルネッサンスビーチ。どんどん海が緑になっていく。次に、山田ばさらさんが働いている農園へ。そこに地元では有名な「おしゃべりな石川
農園の社長」がいた。The沖縄人。おしゃべりしていると人がだんだん集まってくる。奥さんも来た。ピストルさんが後から「社長と奥さんの歯を足しても3本くらいしかなかった」と言っていた。確かに。そして、また海へ。残波ビーチ。ここの海は緑ではなく、とにかく青い。濃い青。黒くはない。暗くはない。だからずっと見ていてもずっと落ち着いていられる。頭がスッキリした状態でライブ会場へ。今日はオープニングアクトにウクレレを弾く「やんちぇん」さんがいた。やんちぇんさんは何で僕がどんぐりなのか聞いてきたので、諸々説明した。結局、なんでやんちぇんなのかはわからない。マスターは僕のことを「ころころ」と呼んでいた。ライブ後は山田ばさらさんのお家で打ち上げ。また完全に酔っぱらって就寝。起きると、ピストルさんが「おはよう、日記」と一言。これを出発時間になってもまだ書いている。ピストルさん、お茶またもらいましたけど、まだ2本あまってます・・・つづく。

うし

摩天崖

どんぐりが書いていた日記

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※富山の友人、どんぐりが書いたものです。

10月27日(土) 沖縄県伊江島ライブ!
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昨日の日記をやっとかっと書き終え、車に飛び乗り伊江島へ行くフェリー乗り場へ向かう。途中、100円ショップに寄った。この日記を書いた紙をとじるファイルを買うためだ。そこで、すれ違った女の子がどんぐりTシャツを見て「どんぐりって(笑)」と言った。(笑)ってこういう時のためにあるんだと思った。そこから前日のリベンジでソーキそば屋へ。ノーマルなソーキそばを頼む。シンプル イズ ザ ベスト。量もちょうど良かった。店を出た後、ピストルさんが「これがいわゆる本来のソーキそばの味なんだよ。でも、昨日の店で普通のソーキそばを頼んでいたら、あっちの方がうまかっただろうな」と言った。確かに、この店は注文した後、ものすごい早さでソーキそばが出てきていた。もう誰かラーメン王みたいなソーキそば王にこれを食えと教えてほしい。フェリー乗り場に到着。車と一緒に伊江島へ向かう。フェリーとは相性が悪い。昔、佐渡にフェリーで行った時、2、3時間 で3回吐いたことがある。だが、今回の乗船時間は30分。もし今日、スペシャルのソーキそばを食べてい
たら、僕の旅は終わっていたことだろう。伊江島でも海へ行った。水が透き通っていた。日が沈んでも透き通ったままでキレイなままだった。今日のライブのオープニングアクトは伊江島で歌っている島袋さん。伊江島の海のような透き通ったキレイな声だった。島袋さんが「最後の曲で一期一会という歌を聞いて下さい」と言った後、「違う、一期一会じゃなかった」と別の曲をした時は度肝を抜かれた。母は強し。母なる海よ。伊江島はお客さんもノリノリでとても良いライブだった。打ち上げもいろんな方とお話できてとても楽しかった。山田ばさらさんの友達は僕のことを「どんぐりちゃん、チャン・ドングリ」と呼んでいた。カムサハムニダ。何日連続で酔っぱらっているか考えることもなく就寝。起床。ピストルさんが「日記」と一言。昨日は「日記」の前に「おはよう」があった。まぁ、でも何日連続で酔っぱらって「おやすみ」と言わずに寝ているから、いっか・・・つづく。

どんぐりが書いていた日記 完

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※富山の友人、どんぐりが書いたものです。

10月28日(日) 沖縄県那覇市ライブ!
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昨日の日記を書き終え、山田ばさらさんの奥さんに作ってもらっていた弁当を食べる。なんだか遠足の時に食べる弁当みたいでより一層おいしい。この旅は宿泊学習のようなものだ。ドキドキ、ワクワク。毎日もれなく楽しい。学習してないようで学習している感じ。今日もまた海へ。全ては同じ「海」なはずなのに、全てが違う「海」である。その海を眺めていると、空から石が降ってきた。小石ではない。横を見ると、ピストルさんが笑っていた。フェリー乗り場へ向かう。そこで、ピストルからカメの小さい置物をもらった。「カメは歩む速度は遅いけど、確実に進んでいる」と一言。胸にしみる。ただ、さっき石を投げてきた人とは思えない。「ウサギとカメ」と「浦島太郎」を足して2で割ったかのような話だ。フェリーに乗り込もうとすると、そこに昨日共演した島袋さんが見送りに来ていた。島袋さんはフェリーが出た後もずっとずっと手を振っていた。手を振り返していたピストルさんが隣にいた女の子3人に「一緒に手を振ってくれない?」と言って、みんなで手を振り返した。到
着した後は温泉へ。準天然温泉と書いてあった。「純」ではない。「準」だ。準優勝の準であり、準備中の準だ。その周りには古民家風の店やガジュマルの木もあった。そこでまた、小さい女の子にどんぐり Tシャツを見られて「どんぐりって書いてある(笑)」言われた。ただ、家族みんなで笑って楽しそうだったら、それはそれで良し。また近くの海へ。何故か馬がいた。何故かゴルフボールがあった。持ち帰った。そして、ライブ会場へ。お店の人はすごいフレンドリー。沖縄はこの温かさの影響で一年中暖かいのかもしれない。僕は物販だけでなくドリンクを運んだり席の誘導をしたりした。どこの馬の骨かもわからない人間(どんぐり)にいろんなことを経験させていただいて、ただただ感謝です。しっかり学習しています。お客さんの中に親子で来た兄弟がいた。その兄弟はピストルさんにサインをもらった時、とても目を輝かせてうれしそうだった。ご両親もその姿を見て同じくらいうれしそうだった。ライブハウスで軽く打ち上げ。僕は笠のヒモを首にかけて背中で背負っていると、ば
さらさんが「ヤドカリみたいだな」と言った。僕は「宿借りてますから」と言って笑った。ばさらさんのお家に戻って再び打ち上げ。途中からモノマネ合戦になり、明日帰りに高速の料金所でどうやったら笑ってもらえるか真剣に考えた。配役はピストルさんがたけしさん、ばさらさんが志村けんさん(輪島功一さんを経て)、僕がアントニオ猪木。セリフ、動きなど入念な打ち合わせの後、何度もリハーサル。 設定を変えて全員が猪木になったり、設定をぶっ壊して新たなものを生み出そうとしたり。笑いまくった。泡盛で弾けて盛り上がった。気づくと深夜4時。詳しくは書ききれないし、あえて書かずに記録ではなく記憶の中に大切にしまっておこう。その後、僕の将来についてピストルさんと話した。これは夢のようだとかみしめて、これが夢なんだと打ち明けて、これは夢なのかと疑って・・・ばさらさんのイビキをBGMに(笑) ばさらさん、さらばです、ありがとーぅ!(猪木風) 完(屋久島・沖縄編)

流れ弾通信 2012.10.31.

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そっと手を合わせ拝むように、そっと本を閉じた。
知らない言葉が出てくるたびにWikipediaで調べて、という読書はなかなかに難航したが、それでも夢中になって、司馬遼太郎著『燃えよ剣』を読み終えた。

七類港から隠岐 西ノ島に向かうフェリー。
甲板に出る、海の遥かを眺める、舟が見える、と、それがどうにもこうにも官軍の艦隊に見えてしまう。ぎぎぎ、と奥歯を噛み締める。気分は宮古湾。相当な余韻。

で、あれですよね?新撰組ってのはそもそもは幕府のどーたらこーたらで。。
と、同行カメラマン、石原氏がたまたまものすごく幕末について詳しかったから、あれこれ教えてもらい始めて、、ぐらいで蝦夷、じゃなくて、隠岐 西ノ島に到着した(後に石原氏とは、『キン肉マン』、『魁!!男塾!!』等についても熱く語り合う仲となった。)
。初上陸。

今回のライブの主催、中村氏と、西ノ島観光協会会長、オープニングアクトをつとめて下さった達磨屋さんがわざわざ迎えに来て下さった。

バケモノのように美味い寿司をご馳走になり、観光へ。
摩天崖、というところに連れて行って下さった。
あちこちに牛や馬がのんびり横たわっている。
それらをすり抜け崖っぷちへ。
松島や ああ松島や。。ではないが、絶景のスケールも度を越えていると、ましてや、私Levelの感覚では、どうにも言葉に表しようがない。

“隠岐にいこう。歌に閉じ込めようのない景色がある。”

これ、隠岐の観光キャッチコピーにして下さい。


再びフェリーに乗り、ライブ会場がある島、海士町(あまちょう)へ。
つまるところ、お二人はぼくをこの西ノ島観光に連れて行って下さるが為に集合場所を西ノ島に設定した、という訳である。こんなにありがたいお心遣いがあろうか。

ライブ会場は、隠岐総合センター 島民ホール。
その内装を、スタッフの皆様方が立派なライブバー風に飾り付け。雰囲気、ぬくもりに溢れていた。

迎えに来ていただいて、寿司をご馳走になって、観光に連れて行っていただいて、のご恩をちょいでもお返しできるように、と頑張った。
もうちょい隠岐に来てみての感想、みたいなご当地的な話も挟みたかったが、来て間もなかった。
じっくりと、なテンポでライブを運んだ。お客さんも暖かかった。楽しいライブだった。

そしてラスト一曲、のところで、中村氏を始め、4人の隠岐のバンドマンを呼び込んで、セッション。
編成は、
コーラス、ボーカル、アコースティックギター・・・ラーメン屋のてつや(中村氏)

ドラム・・・ライフル中村(中村氏の兄)

エレキギター・・・寿司屋のジロー

ベースギター・・・隠岐牛のマー

曲は『ふうせんガム』と、『来た道戻るの大嫌い』。
これがこの隠岐ライブで特に楽しみにしていた事柄だった。

はるばる、初めてやってきた島、の皆さんが、私の曲をガッチリ練習して下さっていて、本番のステージで一緒に演奏して下さる。が、どれだけ幸せだったか、なんて、書かずとも、お分かりいただけるであろう。

“隠岐にいこう。歌に閉じ込めようのない幸せがある。”

これ、隠岐の観光キャッチコピーにして下さい。


打ち上げ。
大人数でわいわいと。
次回は全編バンドでやりましょう、と中村氏と約束をした(俗に言う、海士の誓いである)。


中村氏は、そのまま、なかむらという旅館の四代目(上記のラーメン屋はウソらしい。)。だからそのまま、なかむらに泊めていただいた。

何から何から何から何まで、お世話になり倒した。
このご恩は、歌うたい人生を懸けて、毎年。
こうして今日もまた歌う理由が一つ増えた。


翌朝、フェリーに乗り込んだ。
やがて出航。
隠岐の皆さんが見送って下さった。
誰かがいじくって下さったのだろう。
港で流れる出航のBGMが、『旅路の風の中、旅路の空の下』だった。

ありがとう隠岐。
ありがとう隠岐の皆さん。

“隠岐。また新しい行き先ができた。”

これ、隠岐の観光キャッチコピーにして下さい。

流れ弾通信 2012.11.4.

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以前の記事にも挙げたが、ツアー中における、<呼んでもないのに勝手に合流してくる系>の筆頭、クソ林。であるが、今回は呼んだ。
東京/三軒茶屋→福島/いわき→愛知/名古屋→山形/米沢。というなかなかな急行程(俗に言う、尾張の大返し)を、打ち上げ、交流ひっくるめて楽しむには、己は酒を飲み、運転は誰かによろしく、が一番である。
そこでクソ林に白羽の矢が立った。

昼、新宿で合流。
車を取りに、一路、故郷、千葉/千葉の実家へ。
母が寿司をご馳走してくれた。
何やらいつの間にか母は70歳、喜寿(?)ってのを迎えていた。お祝いにと7万円持っていかれたが、まあ、めでたいことではあるから。
一方、父は今日もハワイアンバンド活動に駆け回っているらしい。
何やら、市長に賞をもらったらしい。新聞に載ったらしい。雑誌に載ったらしい。と、息子よりメディアへの露出が頻繁である。悔しいが、元気で何より。
姪はピアノコンクールの全国大会決勝にまで駒を進めたのだそう。
実家のピアノの上に彼女のちっこいころの写真が飾ってある。
立派になった。じーんとくる。

「ひげを剃りなさい。」
「うるせ、ガジュマルを意識してんだ。」
そんなやりとりの横でクソ林は寿司を二人前平らげた。


腹拵えも済み、いざ、東京に出陣。
した途端に、私は助手席で眠った。
目が覚めたときには三軒茶屋。着

会場はヘブンズドア。
ヘブンズドアには、誰かの企画に呼んでいただいて、の出演が続いている。
今回は北海道からの、The 武田組主催のイベント。
共演はThe 武田組、THE BEAT GENERATION、井上ヤスオバーガーバンド。
皆、これまで何度もやり合ってきた仲である。
しかし、だからこそ逆に、の緊張感に溢れた、楽しいイベントだったのではないだろうか。
The 武田組さん、仲間に入れてくれて、ありがとう。


終演後、ライブを観に来ていたハマノヒロチカ氏を車に載せ、彼と東北ツアーを一緒に回る兼ね合いで、彼の鍵盤をピックアップすべく、彼の自宅へ。寄りつつで、明日は入りが早い。ということで、クソ林に運転を任せつつ、日立まで走った。

私は助手席で明日のセッションの猛練習。
明日の共演である島崎智子さんのレコードは、移動中、車の中でよく聴く。曲もよく知っている。はずなのだが、いざ、ガチで演奏する、という前提のもとに練習してみると、これがまた、どうにもこうにも難しい。

セッションをしよう、の言い出しっぺは島崎さんだが、島崎さんの曲にしよう、の言い出しっぺは私である。これはかっちりがんばらなければ。という局面である。かっちりがんばるのみである。

きのうかったぐらさん

11月5日(月)愛知/名古屋ライブ ソールドアウトのお知らせ

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11月5日(月)
愛知/名古屋
会場:GURU×GURU

このライブはソールドアウトとなりました。
たくさんのご予約、ありがとうございました。

11月12日(月)大阪/寺田町ライブ ソールドアウトのお知らせ

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11月12日(月)
大阪/寺田町
会場:Fireloop2001

このライブはソールドアウトとなりました。
たくさんのご予約、ありがとうございました。

流れ弾通信 2012.11.4.

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10:00出発。
11:30、福島/いわき ライブ会場、BAR Queenに到着。
本来の入り時間は14:00。
お願いして早くに店を開けていただいた形だ。
そこからはしばし稽古。
こうしたお心遣いで私は育てていただいている。マスター、ぴろみさん、本当にありがとうございました。

セッション課題曲、島崎さんのレパートリー、『イモムシ』を反復に反復。キーが高い。イースタンユース 吉野氏的な絶叫になってしまい、イモムシというよりは、モスラだ。笑って許しての方向で稽古を続けた。

やがて島崎智子さん会場入り。
リハーサルから会場内が島崎さんの雰囲気に満ち満ちた。全身がひりっとして、心地よかった。
セッションのリハーサルも無事終了。笑って許していただいた。

一度宿に戻り、頭をリセットし、本番。
じりじりじり。の運び。設計図通りにはできた。後は、楽しんでいただけていたら。
あたたかく、ありがとうございました。

島崎さんのライブを一時間、という長めの尺で見たのは始めて。それでもいつも通り、あっという間。聴きたいと思っていた曲は全部聴かせて下さったが、それでもまだまだ聴きたい曲がたくさんあった。
お客さんもそうだっただろう。
そんな場、でのアンコールセッションは言うまでもなく緊張したが、練習の成果は出せたか、とは思う。
貴重な、大切な時間に仲間に入れていただいて、ありがとうございました。


カツオ、タコの刺し身。
ウニの炊き込みご飯。
メヒカリの唐揚げ。
大好きな生ハム。
差し入れていただいた大好物、6Pチーズ。
その他いろいろ。
胃が裏返りそうなほど美味い(なにその表現、意味わからない。)もんをばりばりいただきながら、ビール。
島崎さん、いわきの皆さんともあれこれ話しつつ、幸せに打ち上げた。
買ったばかりのサングラス、ダイスケ関の彼女にあげちった。また新しいのを探そう。

何から何まで、お世話になりました。

島崎さん、あなたはなんなのだ。計り知れないよ。

完敗に乾杯。

流れ弾通信 2012.11.5.

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なんだか早くに目が覚めた。
枕元、宿常設の目覚まし時計を見ると、9:30と表示されていた。
うっそ、そんなに寝たか!?まだ全然夜が明けてないじゃんか。と腕時計を見るとやっぱりまだ5:30。
なるほど、9:30に目覚ましが鳴りますよ、の表示だったようだ。

それはそれで妙に目が冴えてしまい、渋滞の可能性を思いつつ、隣のベッドでイビキをかいているクソ林を叩き起こした。

出発。

片方運転、片方は寝ておく。
という長距離車移動における基本体制をとった。先発は私。
まあいいのだが、結局東名港北まで運転させられた。
新東名に入り、巨大大陸、静岡県の9割をクソ林が制し、後は私。その先は細かな継投、無事、名古屋に到着した(俗に言う、いわきの大返し。)
風呂に入り、車で仮眠。
ライブ会場、GURU×GURUへ。

今年もGURU×GURUには散々歌いに来させていただいた。
それでも毎度、GURU×GURUのマスターであり、年末ワンマンツアーの主催であり、何よりBROTHERであるDJ dieちゃん(以下、だいさくくん)と会うのが楽しみで仕方ない。逆に、だから散々歌いに来るのかもしれない。

ソールドアウト御礼。
新曲は織り混ぜつつで、良い意味で、特に何も策を練らず、自然体で、歌った。
途中、頼んでもいないのに自主的に切れたギターの弦をかえに来たクソ林に、少しだけ、ほう、と思った。

あたたかくじっくりと聴いて下さって、皆さん、ありがとうございました。

今年の名古屋でのライブは、残すところ、年末ワンマン、12.27.のダイヤモンドホールライブのみ。となった。
今日のライブ中にも話したが、二部制。一部、二部共、ひたすら一人で弾き語り。曲は2、3被らせるかも。やっぱりこれやらないとやった気がしない、っていう曲が2、3あるから。
スペシャル感ゼロ。散々やってきたことをそのまま散々やり倒す、がコンセプト。
どうかどうかのんびりぐったりとお付き合いいただけたら。です。

いや、ライブについては、いつも通り、ではあるが、普段のライブでは無い、グッズの販売が盛り沢山。という点は、年末ワンマンならではのスペシャル企画だ。と言えるだろう。
だいさくくんがあれこれ製作中。
自分がこう言ってはある意味キモいが、自分自身、自分のグッズが楽しみだ。
是非是非、皆さんもお楽しみに。して下さいね。
だいさくくん、毎年、ありがとう。


さて、終演後は尾張の大返し。
すぐさま車に乗り込み、山形/山形はさすがにキツいか、と、途中の、長野/長野を目指した。

おめー呼んでもないのに、ライブ中ギターを取りにくるな。間が狂う。でも今日は結果的にはナイス判断。助かった。とか、『話はそれからだ。』ってよ、何か他にいいタイトルねーか?とか、そんなこんなを話しつつ走った。先発は私。
まあいいのだが、280キロ中、200キロ運転させられた。
結局、『話はそれからだ。』は、もっとざっくりと、『LIVE in 和歌山』とすることになった。クソ林はアナーキー イン ザ 和歌はどうでしょう?と言っていたが、バッサリ却下した。

年末に向けて、少しは節制、トレーニングするか。

諸々、どうぞよろしくお願い致します。
長野に入った。

やまきれい

流れ弾通信 2012.11.6.

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尾張の大返し、後半戦。
長野/長野から一路、山形/米沢へ。
会津若松で高速を降り、下道で進んだ。のだけれど、山々の赤々が、この世のものとは思えない美しさ。
雲をかぶって、天国みたい。
わくわくした道中。

とは言え大返しの連続でやはり少し疲れたは疲れた。クソ林も頑張っている。
早めに宿に入り、ベッドに横たわると、ぼと、っと眠りについてしまった。一時間ほど熟睡して、随分すっきりした。
くわっと力を入れ、喉をひらいたまま仮眠する、という秘術を身に付けている。声のコンディションもばっちり。
会場入り。

初めての山形/米沢 laboratory。
初めての、なのだけれど、持ち時間一時間半。転換込みだから、一時間ニ十分。か。
あれもできるこれもできるの時間ではあるが、初めてのお客さんを前にして、たるみなく、ギュッと楽しんでいただけるだろうか、と、緊張した。
ぐだぐだ喋りすぎたな。。はあるけれど楽しかった。両思いだったら嬉しいです。あたたかく、ありがとうございました。

島崎さんのライブは一時間半でもやっぱりあっという間。多分二時間でも三時間でも。素晴らしく楽しかった。


島崎さんとのいわき、米沢での共演。が終了した。精神的にも、物理的にもあっという間だったけれど、もし、これが後三日間続いていたら、ホセ・メンドーサよろしく髪の毛総白髪になっていたと思う。ぴっしびしに神経を研ぎ澄ませて、細胞をひりつかせての二回だった。心が筋肉痛。

これまでも共演の機械は何度もあったけれど、まともにお話したのは今回が初めてだった。ますます素敵な方だ。と思った。
またいずこかで、必ずや。
お世話になりました。


千鳥足で車へ。荷物を積みがてら、移動距離を見てみよう、とナビに“弘前駅”を入力。

な!430キロ!!
結局今までの大返しなんかよりよっぽどなげーじゃんか!!
となった。
「東北ってでかいんすねぇ。」
と、のんきなことを言いやがったクソ林を殴りつつ、宿に帰って寝た。

明日はやつと合流だ。

きた

試着

しまむら

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しまむらでふくをかった
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